2006年4月 2日 (日)

はじめに

 私は1993年10月に会社の定期健康診断で肝臓の異常を指摘され,翌年3月より入院してインターフェロンによる治療を受けた者です。35歳から36歳になったばかりの時期でした。慢性活動性C型肝炎でした。約6か月にわたってインターフェロンを投与し,その後は特に治療はしておりません。

 1994年3月の入院以降,検査の結果は順調に推移し,現在,肝炎ウイルスは「消えた」と言われております。治療に関しては,患者はシロウトであり,病状は個々人で異なるため,個人の体験を残しても後の方の参考にはならないでしょう。しかし精神面や生活面については,患者の体験はなにがしかの参考になることもあるだろうと思い,記録を残すことにしました。

 これらの記録がどなたかのお役に立てば幸いです。

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このブログは,C型肝炎患者のホームページ内にある「闘病の記録」を移植したものです。ホームページには,患者会の紹介や検査結果の一覧,私の近況などを掲載していますので,興味のある方は,ぜひ,ホームページのほうにお越しください。

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肝臓がおかしい

●健康診断
会社の健康診断では35歳から検査項目が増えるのですが,1993年の秋,それまで何の問題もなかったのに,35歳の検診を受けた途端,肝臓で引っ掛かりました。毎日そこそこの分量の酒を飲んでおり慢性下痢状態でしたので,胃とか腸では何かあるかも…と思っていたのですが。

1993年10月にGOT=54,GPT=74で,肝臓につき再検査,胆石もあるという通知が来ました。その後も二日酔い以外,体調を崩すこともありませんでしたし,数値も大して高くないことから,その結果については,ほとんど気にしていませんでした。友人で飲み屋のマスターをやっている者がいるのですが,「まだ,リャンハン(麻雀用語です)じゃん,大丈夫,大丈夫。オレんとこのお客さんにはウーハンでも飲み続けている人がいるよ」なんて言っておりました。これは検査で2項目ひっかかったぐらい大したことはない。5項目ひっかかっても大丈夫な人がいるよ…という意味です。

●大腹痛!! ヤバイかも?!
そのような次第で,その後も酒は毎日飲み続けておりました。酔うのが早く,ときおり記憶がないなんてこともありましたが,私の場合,記憶がなくなるのはよくあることで,弱くなったのは年のせいだろうと気にしておりませんでした(女房はたまったもんではありませんよね)。例年同様,忘年会・新年会と酒漬けの日程に突入。忘年会は乗り切ったものの,新年会第4戦を終えたところで猛烈な腹痛に襲われました。

1994年1月4日。昼間から友人達とシコタマ飲み,夕方帰宅途中から腹痛が始まりました。夜になっても痛みが収まらず,脂汗をかく始末。翌日,近所の医者へ行き,診断を受け,肝臓の話もしました。診断結果は「今回の腹痛は胃ですね」とのこと。「一応,肝臓の検査もしておきますから,来週来て下さい」と言われました。

それ以降,夕方になると妙に身体がだるく,風邪をひいて微熱があるような感じでした。仕事は忙しかったのですが,体調がすぐれないため,早めに帰宅するようになっていました(といっても,会社を出るのが22時ぐらいから20時ぐらいになっただけですが…)。猛烈な腹痛に襲われて以来,酒はやめました。まったく飲む気がしなくなるほど,夕方から夜になるとぐったりしてしまっていたのです。この辺,よくわかりませんが,朝から昼間にかけては割合普通にしていられました。

1週間後の検査結果はGOT=88,GPT=169で,「近所の大学病院に紹介状を書くから行って下さい」「入院になると思いますよ」とのこと。病院に行き,外来で診察を受け,また同じ検査をしました(医者って自分のところ以外の検査を基本的に信用しないようなところがあります)。で,「1週間後にまた来てください」と言われました。

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C型肝炎発覚

●慢性活動性C型肝炎
病院での検査結果はGOT=121,GPT=200で,慢性活動性C型肝炎ということでした。医者は「早めに入院してください」「多分1か月も入院すれば仕事には出られますよ」と簡単に話してくれました。大きな病院に行ったことのある方はおわかりになると思いますが,外来は正に「2時間待ちの3分診療」という状況で,患者が質問をして疑問点がなくなるまで医師に細かい説明を受けるという理想にはほど遠い状況です。何やらマズイらしい。こりゃ入院しなくては,ということはわかりました。GOT,GPTの値も検査をする度に上がっています。ただ,医者があまり慌てた風ではないのでそれほど緊急を要するわけでもないようだ…というのがささやかな安心材料でした。

その後,自分でも本を読んで多少勉強し,早期に入院して治療をきちんとしなくてはと,気持ちは固まっていきました。仕事の調整などをしているうちに,結局入院は3月からということになりました。健康診断の検査結果を知ってから半年後,大腹痛以来,2か月が過ぎての入院ということになりました。体調は相変わらずで,夕方になると微熱が出ているように感じ,身体がだるく,「ごめん,疲れてるみたいなんで帰るわ」などと言っては,部下を残し先に退社するという日が多くなりました。ほとんど病気をしたことがないので,病気だと言われて気分もすっかり病人になっていたという感じでもあるんですが,体調がすぐれないので,一層,とにかく治療しないとマズイという気持ちが強くなりました。短気な性格でもあり,とにかくここはきっちりサッパリ治療したいと思うようになっていました。

私はC型肝炎というウイルス性の肝炎(当時,日本全国で150万人患者がいるといわれていました。最近は200万人とか240万人ともいわれているようです)にかかっており,しかもそれは活動性で,今も肝臓を害している。GOT,GPTの数値に見られるように,その活動は活発化してきている,このまま放置すれば肝硬変・肝がんへ進行しかねない…というのがそのときの認識でした。C型肝炎ウイルスの感染力は弱く,日常生活で他の人に病気をうつすことはまずない,というのがせめてもの救いでしたが,しかし,この時点で妻や子供(3人います)も感染している可能性はあり,妻に検査を受けてくれと頼みました。

今にして思えば,1993年10月〜1994年3月まで,自覚症状は,微熱と軽い疲労感しかありませんでした(ちょっと風邪をひいたかな,とか昨日少し飲み過ぎたかな,といった感じです)ので,健康診断がなかったら,肝硬変になるまで気がつかなかったかもしれません。「早期発見」「治療より予防」といいますが,それらは本当に大切であると思います。私の場合は,結果的に「早期発見」という形で,発病したての早い段階(ウイスルの数が少なかった)で治療したことがよかったのだと思います。

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入院準備・入院直後

●準備
病院で入院の予約をし,入院日の連絡待ちをしている一方で,だいたい1か月の入院ということで,仕事の都合を調整しました。業務の大筋については部下も上司もいるので大きな問題はないと思いましたが,欠員が生じればその分他の人の仕事量は確実に増えるので,その点は大いに気になりました。これらについては退院してから埋め合わせをするつもりでお詫びを言いながら淡々と引き継ぎをしました。勤務関係の届けについては有給休暇がたくさんありましたので,1か月のうち相当部分はカバーでき,残りの数日を欠勤としました。賃金にはほぼ影響がないので,生活にも重大な支障はない見通しでした。

●入院・入院直後
1994年3月5日入院。看護婦さんから起床・消灯時間,食事時間,入浴日のことなど病院のルールにつき説明を受けた後,病室へ。内科の大部屋(4人部屋)です。他の患者さんは,私と同じC型慢性肝炎のSさん,あとお2人は高齢の方で,胃の疾患で手術をされた方ともうお一人は退院間近のオジイサン。退院間近のオジイサンは肝臓ではないようでしたが,何かの治療の副作用でまつげまで抜けて,頭もツルツル。すごい恐い顔の人でした。まずは環境に適応できるか,特に病室の人間関係がうまく行きそうかが大事です。どうやら得体の知れないこの恐い顔のオジイサン以外の方とは,うまくやっていけそうな気がしました。

●治療の予定
その日のうちに医師が来て,今後の日程について大まかに説明をしてくれました。最短だと3月7日か8日に肝生検,3月17日頃結果が出て,3月22日頃からインターフェロンによる治療開始という予定。インターフェロンは1か月半から最長で3か月ぐらい。これは肝生検の結果次第とのことでした。

まず,肝生検がいつできるか確定できないので,この都合次第で予定は順に後にずれるとのこと。私の入院した病院では,肝生検のスペシャリストの医師がおり,この医師の都合で日程が決まっていたようです。結局この予定は少しずれ,以下のようになりました。3月11日に肝生検についての説明,3月14日肝生検。

私としては,アレレ?? という感じです。3月5日から1か月の入院ということだったのに,最短でも1か月延長されて(3月5日の入院後1週間で肝生検,その10日後ぐらいで結果が出て,それから最短でも1か月半インターフェロンなので,その時点で入院は2か月以上になることがわかりました),かつその後も検査の結果次第でどうなるかわからない,ということだったのです。会社にこの旨連絡するのは実に気が重かったです。この年,末の娘が幼稚園入園だったのですが,4月上旬の入園式に行けそうにないということにも落胆しました。

さて,そのようなわけで,3月5日に入院してから,3月14日までの10日間,私は何の治療もなく薬も飲まず,ただ早寝早起きをし,規則正しい食事をし休養をしているだけの状態でした。いくつか簡単な検査をしたぐらいです。入院2日目以降ぐらいから便通が子供のように快調になったのには驚きました(酒は飲まないでいたものの,その後もいわゆる慢性「軟便」状態だったんです)。さすがに病院の食事は胃腸にやさしいんだ…と実感しました。身体は仕事をしていない分楽でしたが,夕方から夜になると多少疲労感があり,37度近辺の発熱がありました。

食事・喫煙ともに制限はなく,簡単な検査があった以外,基本的に毎日ブラブラしていました。同室に同年代(1歳年上でした)で同病のSさんがいてくれたこと,私には読書の習慣があったこと,現在では無理だと思いますが,ノートパソコン(Apple PowerBook100)の持ち込みを大目に見ていただいたことは,幸いでした。患者同士でいろいろおしゃべりをしたり,読書をしたり,手紙を書いたり,ハイパーカードでスタックをつくるなどして過ごしていました。

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肝生検

●事前の説明
肝生検というのは,お腹から針を刺し,直接肝臓の細胞を引っかいて取ってくるという検査です。検査自体の時間は30分ぐらいでしょうか,大したことはないのですが,たとえば,引っかくのが深すぎると肝臓に重大な損傷を与えることなどから,事前に家族への説明をし,同意を得るという手続きがありました。1994年3月11日でした。

私は5歳のときに全身火傷をして,瀕死の状況から3か月入院して生き返っております(実はこのときの輸血でC型肝炎ウイルスをもらってしまったようなのですが…)。ですので両親には再び心配をかけないよう,努めて重大な事態ではないと言ってきたのですが,ここで早くもそうも行かないこととなってしまいました。当然,今回の病気の件について説明があり,今回の検査も含め,今後の経過についても決して楽観できないことなど,親の耳に入ってしまいました。特に母には,私の火傷につき幼いときのことで責任を感じている様子ですので,聞いてほしくなかったです。35歳を過ぎて,また両親に心配をかけている自分が情けなかったです。

●肝生検
1994年3月14日。肝生検がエコーの器具(?)で映像を見ながら行われました。患者は上を向いたままで,お腹のほうでゴソゴソやっている感じです。普通なら1回で終わるのですが,私の場合,1回目は野球で言うチップみたいな状態で,表面をかすった程度だった模様で,慌てて2回目を行いました。そのとき,針が骨をかすったのでしょうか,その後肋骨近辺の痛みが1週間ぐらい収まりませんでした。ただ肝臓自体が痛むということはありませんでした。同室で同病のSさんから後で聞いた話では「1回でチョロっと終わり楽勝だった」ということですので,私のようなケースはほとんどないものと思われます。

肝生検の後,患者は丸1日動けません。上を向いたまま1日じっとしていなくてはならないのです。これは事前の説明で聞かされており,承知していました。動けないということの苦痛ですが,これについては多少動かないとこらえられないので,痛い部分があれば少し身体をずらすといった感じで1日凌ぎました。いま思えば,肋骨近辺の痛みが気になっていたのも気が紛れてよかったのかもしれません。食事は看護婦さんに食べさせてもらいました。これは,「はい,アーンして…」という,例の幸せなやつです。(^_^) 問題は排泄でした。小水はし瓶,これは上を向きながらします。何とかクリアできました。大便が心配でしたが,幸いもよおすことはありませんでした。

●肝生検後
3月14日の肝生検の後は,再び何もない日が2週間続きました。お見舞いに来てくれる人も,入院当初からあらかたこの時期(入院後3週間ぐらい)に来てくれましたので,妙に元気な病人という印象を持たれたことと思います。笑うと肋骨が痛むのがせめて病人らしいところだったでしょうか。ただこの痛みはときにはなかなかのもので,常時湿布はもちろんのこと,痛み止めの座薬をもらうこともありました。この予想外の怪我(?)のためか,日程がまた少しずつ後ろにずれていきました。

その他は,相変わらずで,食事制限もなく喫煙もOK(これは病気発覚以後ずっとそうでした),外泊(家に帰る)も許可されておりました。この頃,経済的にも,保険で入院費が出ること,また,この病気は難病のため東京都から医療費の助成があることなどを知り,当面家族も困らないであろうという安心感もあって,精神的には気楽でした。

インターフェロンは当時1回の注射で約3万円もする高価な薬と言われていましたが,1994年時点で,東京都では1回目の治療〈私の場合,インターフェロン代と諸検査〉に限り全額補助してくれるという制度があり(現状については,存じません。すみません),大変助かりました。加入していた保険の入院給付も会社に出勤しているのと遜色ない金額でした。もちろんボーナスはありませんが…。

資料1:医療費助成に関する書類

手紙1:会社の人への手紙

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インターフェロン投与開始

●事前説明
インターフェロン投与開始前に医師による説明がありました。これまでの肝臓の炎症を抑えるだけの治療と違い,これはウイルスそのものを叩く治療である。目覚ましい効果が見られる確率は低く,これまで(1994年3月当時)の結果では30%程度ぐらいの人しかそれに該当しない。ただし,そこまではいかなくとも,ウイルスの活動がかなり低下する効果は多くの人で認められている。副作用には発熱・血小板減少・白血球減少・脱毛等があるほか,精神的に鬱傾向の人は悪化する可能性がある等,かなり身体的精神的に負担がかかる。年齢や諸検査の結果などから見て,私はおそらくこうした副作用にも耐えられるであろうから,医師としてはインターフェロン加療を勧める…といった内容でした。

インターフェロンが効かなかった場合について当然質問をしました。すると,「そのときは,そのときで考えましょう。それまでにいい薬ができるかもしれませんし。とにかくいまは悪いことは考えず,可能性のあるほうに考えを持っていきましょう」とのこと。自分自身ではどうしようもない病気であり,現在の当病院の知見でそれが一番と判断されるのであれば,ま,「まな板の上の鯉状態」の患者としては,即,死に至るわけでもなし,お任せしよう,と再確認しました。

●インターフェロンを打ち始める
医師による説明を経て,インターフェロンを毎日打ち始めたのは,結局,3月28日からでした。インターフェロンにもいろいろ種類があり,また,投与する単位も,患者によって違います。私はキャンフェロンAを900万単位でした。「4週間毎日打って(2週間としている病院もあるようです),その後20週は1日おきに通院して注射」という話でした。

(これは後で「8週間毎日打って,その後16週は1日おき」に変更になりました)

インターフェロンは腕か尻にチョイと打つ筋肉注射です。ですから毎回の注射についてはさほど苦痛ではありません。痛みは腕で5分,尻で2分続くぐらいです。3月28日以来,毎朝,看護婦さんにお尻に注射してもらいました。

●副作用…最初は高熱が出ます
これは皆さんそうですが,初めてインターフェロンを打つと,ものすごい発熱があります。私も1週間は注射の前に座薬(解熱剤)をしていました。初日は座薬をしているにもかかわらず40度近くまで行きました。体温計を見ていたのですが,凄い勢いでグングン上がっていくので恐くなり,38.8度を過ぎたあたりからいったん見るのをやめてしまったほどです。その後も2,3日は,夜になると39度近くの熱が出る日が続き,10日ぐらいで,発熱しても37.5度くらいといった状態になりました。発熱に備え,看護婦さんが座薬をくれるのですが,3日ぐらい経って座薬慣れしてくると,そろそろ薬の効果が切れそうだ…というのがわかるようになります。ですので,この発熱には最初は驚きますが,それほど恐れることはありません。

私の場合,当初はかなりの頭痛・耳鳴りがありました。その後もそれは続き,耐えられないほどのものではなく慣れましたが,インターフェロン投与中はずっと軽い頭痛・耳鳴りがあり,投与終了後,いつの間にか消えてしまいました。

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副作用(1)

●副作用・その他
インターフェロンといえば,副作用です。発熱・頭痛・不眠・脱毛・食欲不振などですが,これは個人差がかなりあるようです。またインターフェロンの種類によっても異なるようです。私が入院したときには37歳の人と同室で36歳のSさん,あと50歳過ぎの方がインターフェロンを打っておられました(私は当時35歳です)。50歳過ぎの方については発熱がひどいらしく,ほとんど病室から出ていらっしゃいませんでしたので詳しくはわかりません。37歳の人は元ヤクザで,感染の原因は背中一面の入れ墨か覚醒剤の回し打ちの注射針,なんて人でした。この人は38度程度の発熱・頭痛・不眠・食欲不振に悩まされておりました。インターフェロンを始めて1か月で5キロ痩せたとおっしゃっていました。Sさんは築地で働く頑強な人で,ほとんど副作用がありませんでした。熱が出ても37度止まりで,本人は「薬が効いてないんじゃないの」と悩んでおりました。

●私の副作用(入院中/1999.3.28〜5.22)
私自身の副作用は,入院中の自覚症状は発熱・頭痛・耳鳴りが主でした。あとは副作用なのかどうかわかりませんが,肌が何やら乾燥して痒くなって塗り薬をいただいたり,喉(気管)が痛くてイソジンでうがいなどをしていました。他の方に比べると,私とSさんは,食欲がないわけでもなく,あまり日常生活と大差ない入院生活を過ごしていました。2人とも煙草は随時吸っていましたし…。禁酒と毎朝の注射だけが日常との違いという感じでした。精神的には,薬の影響で,悪い方向へ考えが進むと自殺までしかねないということもあるとのことでしたので,とにかく前向きでいようとSさんからアドバイスしていただき,私もそうすることにしていました。Sさんには,何度感謝してもしたりないぐらいです。

自覚症状以外では,何といっても血小板と白血球の数でして,これは目に見えて少なくなっていきます。インターフェロン加療中は,GOT,GPTの数値が下がるのは当たり前で,むしろ,こちらのほうが重要な数字といった感じです。医師はこの値ばかり気にしていました。インターフェロン前の血小板は16.6万,白血球の数が5800でした(単位不明ですみません)。それが約2週間後には血小板は13.6万,白血球の数が4000となりました(期中多少増減がありますが)。

ちなみにGOT,GPTはインターフェロン前が54と135,約2週間後に20と39でいずれも正常値の範囲内になりました。

※この頃,C型肝炎関連の報道が2件ありました。「C型肝炎ウイルス確認」と「インターフェロンの副作用で自殺12人」という記事です(1994.3.23朝日新聞)。ワクチンの効果をウイルスで直接調べられれば,よい治療薬の開発に必ず役立つであろうという希望と,精神的安定を保たないと危険だという,複雑な気分でした。医師や看護婦は,この記事については,当然知っていたでしょうが,特に患者には何も言いませんでした。

資料2:1994.3.23朝日新聞の記事

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2006年4月 1日 (土)

入院生活(1)

●入院生活(1)
入院して2週間もすると,随分病院生活に慣れてきます。当初怖そうだなーと思ったおじいさんは,無口ですが案外気のやさしい方だとわかりました。若い看護婦さんに,何かの薬の副作用で毛の抜けた頭を,「あらあ〜,随分生えてきたじゃない」となでられて,「デヘヘ」とにやけているのを目撃したのでした。この人は私が入院してから1週間ぐらいで退院していきました。同部屋の患者さんは,結構入れ替わりがあり,同年代同病のSさんによれば,「この部屋で一番長くいるのは俺なんだよ」とのことでした(そのSさんは1か月のお付合いぐらいで退院されました)。いろいろな病気の方がやってきては退院と転院で出ていき(死別が一度もなかったのは幸いでした),最後には,確かに私もその部屋で一番長くいる患者になってしまいました。

入院患者は喫煙場所や食堂で情報交換をします。いろいろな噂話が飛び交います。自分の病歴や他の人の容態などが中心です。同病の方の様子を聞くときはもちろん真剣に聞きました。他の病気の方で自分より容態の悪い方の話には正直言って,癒されてしまうことが多かったです。病院ですから癒されるなんて言っていられない気の毒な話も山ほどありました。一方,馬鹿話も多いです。心からの大笑いというのも何度もしました。患者同士のこうしたコミュニケーションが,かなり精神的にはよかったと思います。これは副作用がそれほどきつくなかったおかげです。私の場合,肋骨の痛みとインターフェロン投与初期の急な発熱が収まってからは,夕方,若干発熱する以外はほとんど健常者と変わらない状態でした。

入院中は同部屋の人はもちろん,他の部屋の患者さんも含め,人間関係がかなり大切です。患者同士の喧嘩はしょっちゅうあります。私は幸い,それほど不愉快な思いはしませんでしたが,それでも何度か年上の方(内科病棟ですので9割方は50歳以上の方のようでした)に文句を言ったことがあります。元気な患者ばかりでない部屋で,自宅にいるのと同じように振る舞われては困ります。夜中にいきなりテレビをつけて大きな音で聞いたり,やたら部屋を出入りされたときなど,「若い元気な病人」として,他の病人の方に代わって抗議しました。ストレスを抱え込むのは病気によくない…というわけで,これはもちろん自己防衛でもあったのですが…。

手紙2:会社の人への手紙

手紙3:友人への手紙

●予定変更
インターフェロンの投与を始めて3週間が過ぎた頃,再度予定が変わりました。当初は4週間毎日,その後20週通院して1日おきに注射ということでしたが,入院期間を伸ばして8週間連日投与し,その後16週は通院して1日おき,ということになりました。また,できれば通院期間中は自宅療養が望ましいとのこと。

これは,大ショックでした。会社に何といったらよいのか…。実は入院の際に,1回診断書を会社に提出し,さらに入院が長引くというときにも診断書を提出させられていました。今回も当然同じ手続きを踏まねばなりません。予定がきっちり決まらないため,人事担当者は不審に思っている様子で,この再変更を知らせるのは気が重かったです。とはいえ治療については無理をしたくありませんでしたので,予定変更を伝えた上,長期欠勤することとしました(家計はなんとかなるであろうと楽観していました)。また,長期欠勤をするとなれば,進退について会社にお伺いを立てねばなりません。微力ではありますが年長の管理職が長期間欠勤すれば業務上支障が出るのは目に見えており,別の方に私のポストを引き受けてもらうのが相当と考える旨も伝えました。

手紙4:会社への手紙

C型肝炎闘病記-本文 | | コメント (0) | トラックバック (0)

入院生活(2)

●IFN投与カレンダーを作りました
インターフェロンの治療が始まって間もなく,私はIFN(インターフェロン)投与カレンダーを作りました。病院にいると新聞を読んでいても日付がよくわからなくなりますし,何か励みになるものがないとやっていけそうにないように思えたからです。下は予定変更後に書き直したカレンダーです。これをベッドの脇に貼って,毎日注射を打ち終わる度に×を記入していきました。

Calendar

3月28日から5月22日まで,8週間の区切りがわかるようにして,入院中は真面目にマークしました。この間,家に帰ったりもしました。朝注射をして家に帰り,翌日午前中ぐらいに病院に戻って注射をしてもらうという感じでした。印をしはじめた当初は,「先は長いな〜」という感じでしたが,時間というのは本当によどみなく過ぎていくものです。桜が咲き始めて散り,葉桜になってしばらくした5月23日に,病院を出ました。

●入院生活(2)
実は,私の入院した病院は,自宅から自転車で5分ぐらいのところにあります。ですので,この入院の間,妻はほぼ毎日来てくれ,また,子ども達もしゅっちゅう来ていました。当時,長女は小学3年,長男は小学1年,そして二女は幼稚園に入園したばかりでした。妻はかなり不安だったでしょうが,子ども達はさほど心配したようでもなく,病院に来るとお菓子を食べながら皆で話ができるので,楽しみにしているようでもありました。

結局,病院にいる間,インターフェロンの副作用と思われるもので,自覚症状があったのは37度〜38度弱の発熱が主でした。その他耳鳴りや胸の痛みなど小さな異変はあったものの,総じて入院中は元気に過ごせました。医師との連絡にはやや不満がありましたが,患者同士の人間関係もよく,看護婦さんはじめスタッフはみなさん親切でした。看護婦さんに疑問など(治療の予定・自分の症状について,さらに助成金のことなども含めて)を言うと,即答できない場合でも必ず別の方から返事をいただきました。看護婦さんの「ほうれんそう」(報告・連絡・相談)のノウハウと徹底度は,通常の組織より明らかに上である,と思いました。人の命を預かる組織ですから,それはそうでないといけないはずですが,それにしても,これには感心しました。おかげで不満や疑問を長期に抱えることもなく,治療(ほとんど静養という感じでしたが)に専念できました。医師と直接話す機会は少なかったですが,これは看護婦さんを媒介に処理するシステムになっていたのでしょう。実際上は,何の問題もありませんでした。死の淵をさまよっている患者さん,救急の患者さんもいるので,医師はそちら優先でいいわけですが(もちろん,そうでないのが望ましいですが),当時は,やはり精神的にいまひとつゆとりがなかったのでしょう,主治医が滅多に来ないことが不満でした。医療に携わる方は身をもってわかってらっしゃるでしょうが,病気を抱えていると,子供のように「自分のことを見ていてほしい」と特に強く思ってしまうんですよね。

退院する1週間前頃には,先に退院した方が何人か続けて見舞いに来てくれました。同じ病気の元ヤクザさんとSさんも来てくれて,インターフェロン投与後の経過などを報告してくれました。残念ながらお2人とも数値は改善しているものの私ほどには下がっていませんでした(お2人のGOT・GPTは50〜60台ぐらいだったと思います)。元ヤクザさんは,退院後すぐ職場に復帰し酒も飲み始めたということもあって副作用がかなり辛そうでした。インターフェロンを投与していると,自分でも驚くほど体力が落ちていきます。そんなときに酒を飲んだらそれだけで身体には相当な負担になるでしょう。当時,私はまだまだ元気でそこまでわかっていなかったのですが,副作用については,これからもっとキツクなる可能性があるんだな…と,よくわからないなりに覚悟しました(つまりはどんな状況になっても取り乱したくない,ということだけなんですが)。

先輩から経過に関する話も聞けて,いちおうの覚悟をもって,「家族はしょっちゅう来てくれるし,外出・外泊もOK,患者同士の人間関係も円満」という,私の恵まれた約3か月の入院生活は終わりました。悪い思い出はただ一つ肝生検後の痛みですが,これぐらいは大目にみないとバチがあたると思えるぐらいの得難い日々でした。


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退院後の経過(1)

●通院は月・水・金
退院した後は,月・水・金の週3日通院して,外来でインターフェロンを注射してもらいました。朝8時45分頃病院に入り,9時30分には注射を終えていました。医師と話すのは2週間に1回で,血小板・白血球の数の話題が中心でした。後は副作用はどうかといった話で,GOT・GPTの値については,数値は知らせてくれるものの,特にコメントはありませんでした。

外来では退院した元入院患者の知人とも何度か会い,お互いの退院を祝ったり近況報告をしたりしました。同年代ぐらいの多くの方は,職場に復帰していました。元ヤクザさんにも会いましたが,髪がちょっと薄くなっており,顔色が悪く,心配になりました。後日医師に聞いたところでは,「彼は途中で来なくなってしまった」とのこと。その後どうなったのかはわかりません。Sさんとも会いました。Sさんは,入院した病院でなく,近所の病院で通院してインターフェロンを打っていました。お目にかかったときは,何かの事務手続きで来られたようでした。Sさんも少し髪が薄くなっていました。副作用(発熱・倦怠感)は以前より多少強いものの仕事のほうは何とかなっているとのことでした。ただ,復帰後,職場のほうで体調が戻るまで配慮してくれるという話だったのに,そうならないので,少々頭に来ていると話しておられました(Sさんとはその後も年賀状のやりとりをしているのですが,結局,復帰数か月後に会社を辞め,その後,持っていた資格を生かして,自分でふぐ料理のお店を出したようです)。

退院してからは,インターフェロンを打たない日があり,その日は楽なときもあったり,発熱がひどかったりと,副作用の症状は一定していない感じでした。ただ,全般的に言って,初めてインターフェロンを打ってから5か月ぐらいは,体力的には比較的楽に推移しました。子ども達とも随分出かけましたし,夏には2泊3日の旅行にも行きました。

●退院後の副作用
退院後は消灯ということがなかったせいか,やや不眠気味になり,食欲が少しなくなってきて体重がどんどん落ちていきましたが,私はもともと肥満気味でしたので,本人としては結構うれしかったです。「副作用を利用したダイエット」などと言っていました。ただ,いまにして思えば,みるみる痩せていく私を見ている周りの人達はさぞ心配だっただろうと思います。結局,最後には,インターフェロンを打つ前より12キロも体重が減っていました。体重が軽くなったので懸垂が何度もできたり,何とバック転,バック宙返りを子供に見せることもできて,ちょっと見直されたりもしました。

不眠については,もともと夜型でしたので,これも苦になりませんでした。読書とパソコンいじり・パソコン通信で時間がどんどん過ぎていきました。読みたい本はたくさんあるし,パソコンについてもマスターしたいことが山ほどあり,またニフティのフォーラム散策も飽きませんでした。いまは見ていないのでわかりませんが,当時は,「健康フォーラム」(名称はうろ覚えで不正確なものです)というのがあって,肝炎や糖尿病,神経症などに関する情報のやりとりをROM(Read Only Member/発言せず読むだけのメンバー)していました。このフォーラムのやりとりは大変参考になり,また,随分励まされました。残念ながら発言する勇気は,当時はありませんでした。経過を報告していって,最後に暗い話になるのが怖かったのです。いまは逆に少ない成功例を話すのが逆にイヤミになる気がして,このフォーラムに行く気になれないでいます。

退院後は,熱が出れば寝る,疲労感があれば寝る,眠ければ寝る,と,とにかく身体に合わせて睡眠を取るようにしました。ものすごくわがままな髪結いの亭主状態でした。子供も,妻が厳しく言ってくれていたのでしょうが,私が眠っているときはあまり部屋に入ってきませんでした。もちろん,まったく入って来なかったわけではありません。でも,これはある程度は仕方ないですよね。何たって相手は本当にコドモなんですし,彼らにとっては本来なら仕事ばかりであまり接する時間のないオヤジと遊ぶのは,それはそれで結構楽しかったに違いないはずなのです。私のほうも,子供と遊んでいるときは,随分気晴らしにもなっていました。そのような訳で,彼らにはちょっと可哀想なことをしたかもしれませんが,その後,特にミゾができたりしなかったのは幸いでした。オヤジはこういう人なんだ…と,自然に納得されたようです(いつか手痛いシッペ返しを食らうのかもしれませんが…)。

手紙5:友人への手紙

手紙6:Sさんへの手紙

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副作用(2)

●退院後1か月半で脱毛!
5月23日に退院して,その1か月半ぐらい後の7月4日夜,風呂で頭を洗っていたら,手にごっそり髪の毛がつきました。「ついに来ちまったかぁ」と思いました。覚悟はしていたので,同時に,「ま,どこまで行くか楽しんでやろう」という気持ちも起きてきました。ただ,実際は,その後毎朝枕・布団に落ちた髪の毛の除去をしたり,パソコンをしながらも頻繁に落ちた毛を捨てねばならず,結構面倒でした。脱毛は女性には辛いことでしょうが,男性の場合は,それほど気にすることもないように思います。徐々に,均等に抜けていきますので,やや早回しの老化現象という感じです。私の場合は,もともと頭髪が薄いのですが,最終的に,地肌が透けるぐらいにまでなりました。今でいうと元プロ野球選手の掛布雅之氏より,ちょっと髪の密度があるぐらいの程度でした。

●ラスト1か月はきつかったです。
インターフェロンを始めてから,発熱・頭痛・不眠・食欲不振・体重減少・体力減退・脱毛と,順に,一般に言われている副作用が揃ってきました(耳鳴りもありましたが…)。それでもインターフェロンを始めて5か月ぐらいは,いずれもこの程度なら大丈夫だな,と思えるぐらいでした。しかし,6か月目に入った頃から,発熱が頻繁になり,疲労感も強くなってきました。食事は体力を落とさないようとにかく必ず食べるようにしていましたが,だんだん無理をして食べるようなケースも出てきました。脱毛を気にするどころではなく,体重がどんどん減って体力もかなり落ちてきていることが自分でもわかりました。電車に乗って座れないときなど,長時間立っていられないので,その場でしゃがみ込んでしまう,ということもありました。最後の2週間ぐらいは,熱が引かない感じで体力的にかなりきつく,また医師からは白血球が下限スレスレなので,中止せざるを得なくなるかも…と言われました。病院に行くとき以外は,ほとんど横になって本を読んでいるか眠っている,という状態になってしまいました。

手紙7:会社の人への手紙

手紙8:会社の人への手紙

幸い白血球の数は持ち直し,ヨレヨレながらも,9月12日にインターフェロン加療を終了することができました。あと少しで体力切れだったなあ,というのが終わったときの感想です。肝炎ウイルスと戦うというよりも,インターフェロンと戦ったような半年間でした。

●家計の話
入院している間は,保険から入院給付金が出ており,それが結構な額でよかったのですが,通院給付となった途端,給付金額がガクっと下がりました。会社からは,いただけただけ幸いですが,月額基本給の6割の支給でした。…というわけで,退院してからの家計はかなり苦しかったです。わずかな貯蓄を切り崩したのと,銀行からお金を借りてようやく凌いだという感じです。もちろん,その後も生活は苦しく,立ち直るのに(と言っても借入金が小さくなっただけですが)かなり時間がかかりました。長期欠勤をしたためにその年の12月のボーナス支給対象者からはずれ,昇給も対象からはずれてしまいました。なかなか聞けないことですが,会社には欠勤に関する規定を細かく確認するべきでした。私の場合は,状態のよいときに出社してしまえば,その後休んだにせよボーナスがもらえ,昇給の対象にもなっていたはずでした。ボーナスが3分の1でももらえれば(その年の支給対象期間中5か月は勤務していたので),随分その後の生活も違っていたのです。こうしたことをきちんと教えてくれる会社ならよかったのですが(あなたには黙秘する権利がありますと言ってくれるオマワリサン…みたいに),残念ながら私の勤務する会社はそういう会社ではなかったのでした。こういうときに社員に温かくしておくのは,経営者のテクニックだとも思うのですけれども,残念ながらそういうことはなされませんでした。

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退院後の経過(2)

●体力回復
インターフェロンの投与が終わってから,約2週間ほどさらに会社を欠勤し,毎日ブラブラしていました。インターフェロンが終わったといっても容態に特に顕著な変化はなく,いつまでも副作用をひきずっているという感じでした。半年ぐらいは,足がもつれそうで怖くて走れませんでしたし,会社に出てからも出勤するだけで疲れてしまい,結局,1年ぐらいは体調がすぐれなかったように思います。それでも,いつの間にか頭痛も耳鳴りもなくなり,少しずつ体力は回復し,頭髪も戻り,体重もどんどん増えてきました。太っていくのも何だか自分が頼もしくなっていくようで楽しみでした。そこで油断したのがいけなかったのでしょう。いまではすっかり元の肥満体型に戻ってしまいました。

好きな酒については,かなり厳格に禁酒していました。1994年の正月から1998年末ぐらいまで丸4年間は,結婚式で誤ってブランデー入りのケーキを一口食べたぐらいです。1999年に入ってから少しずつ飲む機会が増えていき,夏の暑さに負けて生ビールを飲み始めてからは,週4日ぐらいは,酒にして2合ぐらい飲むようになりました。

●インターフェロンの効果測定
インターフェロンの効果測定は,インターフェロン終了6か月後にすると聞きました。ただ,医師は1年後の検査結果も見てみないと…と,ということでした。インターフェロンの投与が終わってからは,1か月おきに通院し血液検査と診断(といっても1分ぐらい軽い会話を交わすだけですが)をするようになりました。

インターフェロン終了間際の検査では,私のC型肝炎ウイルスは「消えている」と言われましたが,その後も1年ぐらいは油断できないとのことでしたので,何だか妙な気分でした。人に説明するのも面倒で「いちおう治療は終わったのですが,直ったかどうかの判定は1年後ぐらいだそうです」と,話していました。

結局ウイルスは,インターフェロンを終えた半年後も1年後も出ませんでした。私の場合,当初C型肝炎ウイルスは10の4.5乗いたそうです。これは,その後読んだ本によると,インターフェロンが効くか効かないかのボーダーぐらいのウイルス量だったようです。完治しなかったSさんは確か10の5.5乗だったと思います。私の場合,ウイルスが増え始めた頃だったのでしょうか,とにかくウイルス量が少なかったのがよかったのだろう,と今では思っています。

●ウイルスはその後も出てきません
その後も,ウイルスの検査は半年に1回のペースで行っています。通院はインターフェロン終了1年後から2か月に1回,6年目からは6か月に1回となったのですが,ウイルスは出ず,GOT・GPTの値もずっと低位で安定しています。半年に1回のエコー検査ではときおり「あぶらが付いてきたね」と言われますが,それは言われたり言われなかったりしますので,日常の食生活で変動があるのでしょう。

多分,大丈夫…というのが,いまの医師の評価です。何せ私より先にインターフェロンで治療した事例が少ないため,はっきりとしたことはいえないそうです。つまりは,私もおそらく先行的事例で,検査はこのまま一生続けることになるのでしょう。何だか病院のお得意様になってしまった気がしないでもありませんが,私の経過が後の人の役に立つと思えば(助成金の恩返しにもなりますし)大した手間でもありません。せいぜい真面目に検査を受け続けようと思っております。

●社会復帰の前に
インターフェロン終了前後はお見舞い返しの商品選び・発送リストづくりやお礼状書きなど慣れないことをしました。また,会社と復帰の打合せをしたり,挨拶に行ったりと,そこそこ忙しくしていました。体調はあまりよくありませんでしたが,これらは社会復帰前の大事な儀礼ですので,淡々と進めていきました。会社から「仕事に出ていいと書いてある診断書を提出しろ」と言われたときは,ちょっと腹が立ちましたが,これも規則に沿ったことなのだろうと思い,大急ぎで診断書を書いてもらって提出しました。

●終わりに
インターフェロンの治療は確かに辛かったですが,いろいろな同病の方の話も総合しますと何の効果もなかったというケースは少ないです。ウイルスの数やタイプ・型,年齢・合併症の有無,体質など人それぞれですので,医師からどういう結論が出されるかはわかりませんが,私と同じ病気で医師からインターフェロンについて話してもらったことのない方は相談されるとよいと思います。

最後に,励ましてくださったすべての皆さんに心から御礼を申し上げます。お蔭さまで生きていく上で本当に大切なものは何かがわかった気がします。どうもありがとうございました。

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